自転車の楽しみ方
2015年09月06日 15:25
今年の春にロードバイクのフレームを手に入れて、久々に1台組み上げて以来、むくむくと自転車への興味が復活しつつある。
サイクリングを趣味に始めたのは中学生の頃。高校生のときは仲間たちと三重県内を走りまわった。高校へ通う片道13kmの道のりも、雨の日以外は自転車で通っていた。そして、走ること以上に好きだったのが、自転車いじりだった。自分の好きなパーツを買ってきて、手を汚しながら組み付けていく。リムとスポークとハブを手組したときは、試行錯誤しながら3日ぐらいかかってしまったのを覚えている。それまでごりごりと音を立てていたハブのベアリングを、スムーズに回るシールドベアリングを持つカンパレコードに変えたときは、劇的な変化に感動したものである。さすがに今はホイールを一から組みたいとは思わないが、できるだけの部分は自分で手を入れたいと思っている。特にブレーキのタッチはアウターケーブルの取り回しで微妙に変化するし、変速機のセッティングも決まったときは嬉しい。BBやヘッドパーツの組付けには特殊工具が必要だし、そう頻繁にメンテナンスすることもないので、信頼のおけるお店に依頼するのが得策である。
自転車は多くの人にとって子どものときから身近な乗り物で、免許も要らず安い物だと1万円ぐらいで入手できてしまう。そんな自転車に何十万も支払うような趣味は理解されないかもしれないが、レーシングスペックの部品を容易に手に入れて、競技用のマシンが作れてしまうのは自動車やオートバイの世界ではなかなかに難しい。莫大な経済的負担がついてまわることになる。肉体というエンジンをプロスペックにすることは、ほぼ不可能ではあるが、多少なら鍛えることでわずかほどの馬力アップは望めるかもしれない。
自転車は走る道具としてだけでなく、眺めても美しく興味深い工業製品だ。それぞれの身体のサイズにあつらえられた1台のマシンは、マスプロダクトであるにも関わらず個性的だ。
乗らない時間もメンテナンスをしたり、パーツを変えてみたり、ハンドルやタイヤを交換してがらっと性格のちがう乗り物にしてみたり、それほど広いスペースがなくても、車のようにリフトやジャッキがなくても、人力でどうにかできるところにも魅力がある。
僕はエンジンのついた乗り物も好きなのだけど、フレームやギアがむき出しの自転車には、骨と同様に惹かれる部分が多い。カウルやボディワークで誤摩化すことのできない、骨格だけで構成された乗り物。
京都という自転車での移動が楽な町に住んだことも、大きな要因だったかもしれない。自転車、楽しいです。