2015年08月13日 23:38
先週末は神保町ヴンダーカンマーのオープンと会場に滞在するため、東京を往復してきた。今回は往きも帰りもドライバーが3人いて、かなり楽ではあったのだけど厳しいスケジュールの中での、搬入、展示設営、オープンだった。
会場である奥野かるた店には什器がそろっているので、対して荷物はないだろうと思っていたらこの有様。ハイエースがほぼいっぱいになってしまった。大きな作品も何点も持っていたのと、後席を確保するために荷室がせまくなったのが原因でもある。
会場設営はオープン前日の7日に。久君(久 正人)の描き下ろし古生物イラストレーション、とりちゃん(浜口美幸)作のひよこ剥製。
チベタンヤギスカルの原画などと一緒に、トートバッグ、Tシャツの新作が並ぶ。
レース編みで現代美術作品を制作する作家・黒沼真由美さんんのコーナー。手刷りで作られたシルクスクリーンのTシャツ、トートバッグが美しい。
缶バッジも豊富に揃えました。棚の上にみえるのは荻野君(荻野慎諧)が3DCGを作り、3Dプリンター出力した骨格たち。
ティラノサウルス、トリケラトプス、ピxxxx。
オープンに合わせて製作された、系統樹マンダラの新作。科学バーコーナー。
全てをポストカードにすることはできなかったが、全24種を準備。一番任期はダントツでハシビロコウだった。
大阪市立自然史博物館ミュージアムショップコーナー。初期からグッズまで様々な商品を扱う。厳選されたそのラインナップは、見ているだけでもとても楽しい。
成安造形大学、日大芸術学部の小田ゼミ生合同によるひこばえ団コーナー。学生たちがつくったグッズたち。
縦長の油彩や床におかれた作品は2日間限定の展示だったが、壁にかけられた『アジアゾウの死産胎子』は会期まで展示されます。
おかげさまで2日間ともに大変にぎわった館内。昨年の博物ふぇすでは商品とお金の交換にだけ忙殺されるような状況だったが、今回はゆっくりと来場者とも話ができたことがとてもよかった。イベントをやる以上、きちんとプレゼンテーションができるかどうかは、重要なポイントである。ただ商品を売るだけなら、わざわざこんなことをする必要はない。
たまたまなんだけど「小さな力『神保町ヴンダーカンマー』」。ポスターを貼ったときの思いつき。
神保町駅に掲示されている奥野かるた店の看板。駅から近いです。
本当に多くの方にご来場いただき、商品もたくさん買っていただけました。いまも継続して展示と委託販売を行っており、連日たくさんの来場者があるということを聞いています。暑い中、足をお運びいただき感謝しております。
来年どういった形でできるかどうかわかりませんが、さらに充実したものにしたいと考えています。
2015年08月08日 11:00
博物館ができる前、貴族や文人、学者などが、自分の興味のままに珍しい自然物や人工物、模造、捏造された架空の動物の一部などの珍品を集めた部屋が数多く作られました。
博物学が発展する前の、極めて個人的に作られた、系統だっていないコレクションではありましたが、人間の持つ純粋な興味、収集欲を満たし、かつ美しく陳列された空間は今でも十分に魅力的です。そんなヴンダーカンマーに現代の私たちがどれだけ近づけるか?
そして、蒐集という形ではなく、グッズ制作、様々な表現などをとおしてどれだけ楽しい空間を作ることが出来るか?
歴史ある「奥野かるた店」という会場を使って「驚異の部屋」と呼べるような空間を実現できるか?博物学として整理される以前の、ただ美しいから、ただ珍しいから、ただ面白いから、そんな人間の興味だけを反映したコレクション、グッズ、表現物、そして、今だから出来る学術的なアプローチが混在する雑多なイベントにすることを目指します。
2015年8月 小田 隆
会期:8月8日(土)〜8月31日(月)*15、16日休業
時間:8日/11:00~20:00 9日/12:00~17:00
10日〜31日/月~土 11:00~18:00 日・祝・祭 12:00~17:00
会場:奥野かるた店2階ギャラリー
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-26
TEL:03-3264-8031 FAX:03-3230-1512
●東京メトロ・都営地下鉄「神保町」A4出口より左折して白山通り沿いを徒歩3分
●JR中央・総武線「水道橋」東口より、右折して白山通り沿いを徒歩7分
【出展者】
小田 隆(画家・イラストレーター、STUDIO D'ARTE CORVO)
科学バー(株式会社キウイラボ)
大阪市立自然史博物館ミュージアムショップ
ひこばえ団(小田ゼミ成安造形大学、日大芸術学部)
横山 隼(シルバーアクセサリー、RC GEAR)
黒沼 真由美(美術家)
浜口 美幸(なにわホネホネ団)
久 正人(漫画家)
島野 智之(ダニマニア、法政大学教授)
野中 健一(地理学者、立教大学教授)
【主催】
小田 隆(STUDIO D'ARTE CORVO )
株式会社キウイラボ
【会場協力】
奥野かるた店
2015年08月03日 06:44
石膏デッサン、もう何年も描いていないが(何年どころか二桁年以上か)、今でもちゃんと描ける(と豪語しておく)はずだ。美術教育のなかでも古く、その存在を疑問視されることもある石膏デッサンだが、僕はきちんとした手順、正しい目的で行えば素晴しい美術教育のひとつの方法だと考えている。もっともまずいのは石膏デッサンという型を目的とし、一見上手く描かれた石膏デッサン群を目指すことで、そのことにはほとんど意味はない。極論を言えば上手く洗練された石膏デッサンを目指すことには、さほどな意味はない。ここで大きく、多くの美大受験は間違ってしまったのかもしれない。
石膏となっている元の型は、巨匠たちの彫刻やまたその模作、建築物の一部の装飾彫刻であったりするが、その中に内包される美意識、造形力、積み重ねられた伝統は、大きな力を持っている。それらを(手軽に)追体験できることは石膏デッサンの醍醐味だろう。ギリシャ、ローマ時代の巨匠たちやミケランジェロ、彼らの手の動きをたどるようにタッチをいれていく、彼らが造形した美しい人物像の神髄を垣間見る。そして彼らは決して動かない。動いてしまうのは我々の視点のほうだ。とくに木炭で描く石膏デッサンは、何度も消したり描いたりすることで、形を吟味し本質に近づけていくことができる。何度もトライアンドエラーを繰り返し、すこしでも巨匠たちの業に近づきたいと悪戦苦闘する。そのプロセスこそに意味がある。要領よく手際良く描かれた石膏デッサンに作品としての価値もなければ、そこを目指すことにはほとんどの意味はないだろう。
なぜ、今更ながらそんなことを思ったかというと、昨日のシルクスクリーンの作業がきっかけである。今回は、大学の先輩でもあり美術家である黒沼真由美さんが、成安造形大学の版画ラボを使ってTシャツにシルクスクリーンを刷りにきている。聞くとシルクスクリーン自体、ほぼ20年ぶりでほとんど作品としての制作もしたことがないということであった。にも関わらず、ある程度の手順に習熟して以降は、ほとんど何もアドバイスすることはなくなってしまった。素晴しいと思ったのは、常に道具のコンディションを最適に保ち、一番良いパフォーマンスが発揮できるタイミングを探ることができることだ。どこで版を掃除するか、いつ詰まりやすくなるか、どの段取りで進めることがもっとも効率がよいか。そんな諸々のことをいちいち指摘することなく、ほぼ失敗もなく数十枚を刷り上げてしまった。
美術のトレーニングは石膏デッサンが全てではないが、確実に多くのセンサーを備えることには役つ、形に対して、光に対して、陰影に対して、質感に対して、色彩に対して等々。そして、そのそれぞれのセンサーのグラデーションをできるだけ豊かに繊細にすること。
おそらくこれらのことは、どんな仕事においても、研究においても、学問においても、重要なことであろう。
きちんとセンサーの備わった人にとっては、初めてのことも久しぶりのことも、それほど苦もなく対処できる。それでも失敗や予期せぬことは起きるが、そこからの対処も素早く対応することが可能になる。
そんなセンサーを培うには、石膏デッサンというトレーニングは、なかなかに有効な手段なのではと思った次第である。