大阪市の住民投票
2015年05月22日 00:08
日曜日に実施された大阪市の住民投票から数日たったが、今日まで様々なことに思いを巡らしていた(といっても大したことを考えていたわけではないが)。住民投票当日、開票、結果が出るまで、それらの経過を気にしながら、最後まで違和感を覚えたのは、「大阪都構想」の是非を問う論調であったことである。これは大きな間違いだ。今回の住民投票で賛成が多数だった場合、大阪都構想へ大きく舵を切る事が既定路線であったとはいえ、あくまでもこの住民投票は、「大都市地域における特別区の設置に関する法律」に基づき、特別区設置の賛否について住民投票が行われることとなった。」といったものである。そして賛成が多数になれば大阪市が解体され、歴史上消滅するというものであった。
今回の住民投票は賛成派が仕掛けたものである。彼らは「大阪都構想」という大きなビジョンを持ち、賛成が多数になることを願い、大きな勝負に出た。賛成かどうか決めかねている、または反対派にとっては、いきなりリングの上に立たされて、その是非を突きつけられたようなものだった。当然、対案など準備できてなかっただろう。都構想の一つ一つのプランについて対症療法的に、反対意見を表明するしかなかったのが事実だと思う。それでも大阪都構想を推進したい立場の人間たちは、対案を求める。賛成派にとっては、反対派のやり方は、場当たり的で一貫性がないように見えたかもしれないが、そもそも政策を戦わせる場ではなかったのだから致し方ないだろう。
現在の大阪が多くの問題を抱え、経済的にも厳しい状況であることは事実なのだと思うが、その解決策として「大阪都構想」という選択肢しかなかったのかは分からない。「改革」という言葉は耳障りがよく、よりよい未来を約束してくれるような甘い響きがある。特に若い人たちにとっては魅力的に聞こえる言葉かもしれない。だが「改革」が断行されたとき、大きな影響を受けるのは若者や子どもたちの世代だ。そこにある未来は今よりもずっと良いのかもしれないが、逆にもっと悪い状況に陥るのかもしれない。やってみなければ分からないとはいえ、やってみるにはあまりにリスクが大きいと大阪市民は判断したのだろう。でも、その差はわずかで、ほぼ賛成、反対が同数であった。ただし、そこで重要なのは、反対派も今のままが良いと思っている人は少なく、賛成反対の態度を保留するために反対に票を投じた人も多くいただろうということである。
大阪都構想と、大阪市を存続させた上での改革案との一騎打ちであったなら、どんなに健全だっただろうか。それぞれのメリットをポジティブに語る討論会があったら、どれだけ興味深かっただろうか。「大阪都構想」という壮大な仕掛けに対して反論し、その実行を押しとどめるしかなかった反対派は、反対多数となった現在、次なる手をすぐには打てず、足並みをそろえて進むこともできないのが現状だろう。あまりぐずぐずしていると市民にも愛想を尽かされて、大阪都構想が再燃するかもしれない。反対派に準備する期間を与えずに実行された住民投票は、賛成派の狙い通りだったのかもしれないが、反対多数となったことで未来への一手を大幅に遅らせてしまうことになるのかもしれない。それでも僕は反対が多数であったことを支持するし、良かったと思っている(大阪市民ではないが)。
そして、今回の結果の最大のメリットは、一時的とはいえ橋下徹という政治家を表舞台から引き摺り下ろせたことだと思う。個人的には永遠に表舞台に上がってこない事を強く望むものであるが。
現在の心境としては、ただただほっとしている、というのが正直なところである。