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2008年11月17日

生身のヌードモデルを描く事とは

昨晩、つらつらとネットを見ていたら、おもしろい記事に行き当たった。
現役美術モデルHiroさんのblog のエントリー『アニメーターに生身の人間デッサンは必要か』である。
僕が現在教えている大学のクラスには、アニメーターや漫画家志望の学生がたくさんいる。今年から、ヌードモデルのクロッキーやデッサンの授業が大幅に増えたのだけど、学生たちの話しを聞いてみると「描きたかった」という意見がとても多かった。アニメーションや漫画では動きのある人体の描写が不可欠である。特にアニメーションは動画であり、デフォルメされているとはいっても、人体の基本的な構造を知らずして、動かす事は困難なはずだ。
描き込んだデッサンをもとに、タブローを制作するというプロセスはあまり必要ないかもしれないが、クロッキーを数多く描く事で、自然に人体の動きや構造を理解し捉えていくことはとても重要なはずだ。

さらに、Hiroさんのblogを見ていて見つけたリンクがあって、こちらも面白かった。
三次元ヌードへの拒否反応』、『股間を描け』。
モデルのポーズ中に、気分が悪くなって退出した学生が何人かいたという話しだ。緊張のあまり体調を崩すということはあると思うが、こういった事例があることは初めて聞いた。
本文から一部引用させてもらう。
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「アニメーションコースに来るような学生は、だいたい女の子の絵を厭というほど描いている。実物の女のヌードを目の当たりにする前から、女の子のヌードの絵も描いている。そこで頭の中に、かわいくて理想的な女の子の身体イメージというものが、既に確立されている。

しかし。現実の女性はアニメ絵とは違う。ずっとずっとナマナマしくリアルそのものだ。二次元では余計なものとしてあらかじめ省かれたり簡略化されたりしている細部もある。体を捻った時にできる皺とか脂肪の盛り上がりとか毛とか、その他いろいろ。

頭の中の女の子像とそれらとは、もちろん一致しない。どんなきれいなヌードでも、アニメの女の子のようには脚が長くないし、じっと見ていればさまざまな「ノイズ」が目に入ってくるのは当然だ。そのことに耐えられなくなって、気分が悪くなるのである。」
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幸い、僕の授業でこういったことは起きていないが、今後、全くないともいいきれないだろう。

もうひとつ興味深かったのがこのエントリー『個性は獲得目標ですらない』。非常に良い記事だと思います。

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投稿者 corvo : 2008年11月17日 13:12