« Zero 2000 | メイン | MacBook Air »
2008年1月16日
『ルミネ the ヨシモト』 & 『レンブラントの夜警』
今日(15日)は、昼過ぎまで仕事をし、午後から妻と新宿まで出かけてきた。
父が吉本興業の大株主(嘘。株主ではある)ということで、株主優待券を送ってもらっていたのだけど、その期限が今日までだったので、ルミネ the ヨシモトのライブを見に行ってきた。実家が三重県だったので、土曜のお昼はほぼ例外なく、吉本新喜劇をテレビで見るのが習慣だった。でも、近くに劇場があるわけでなく、ライブで漫才やコント、新喜劇を見る機会というのは全くなかった。
ライブは午後4時から6時までで、前半が漫才、漫談、コント。後半が新喜劇という構成である。
今日の出演者は、藤崎マーケット、ちゃらんぽらん、ほっしゃん、レギュラー、ダイノジ、ロバート。新喜劇は知らない芸人がほとんどだった。やはりライブは面白い。地上波テレビでは、面白さのかなりの部分が薄まっているかもしれない。スポンサーの問題もあるだろうし、ネタの内容にも気を使わなくてはいけないだろう。ライブだと、そういった制約は全て取っ払われる。本来笑いというものはきわどいものだし、綺麗ごとだけではすまないものだ。テレビではあまり面白くないなあと思っていた芸人が、舞台の上ではまったく違った魅力を醸し出していた。
僕自身、初めてだったということもあって、客席から盛り上げることに貢献できなかったのが残念。お客さんは皆おとなしめというか、シャイなのか、特にトップバッターの藤崎マーケットはやりにくそうだった。「ラララライ、ラララライ」は手拍子してあげないとねえ。彼らもテレビで見るよりずっと面白かったですよ。
新喜劇は新しすぎず、古すぎず、幅広い年齢層に対応できる舞台だった。昔の新喜劇みたいな「泣かせる」要素は少なく、知らない芸人が多かったこともあり、とても新鮮に見ることができた。やはりライブはいい。
ルミネ the ヨシモトを出た後、夕飯を済ませて、テアトルタイムズスクエアへ移動。
午後7時30分開演の『レンブラントの夜警』を観るためである。ピーター・グリーナウェイ、レンブラントとくれば、観ないわけにはいかない。理解出来ているかどうかは別にして、ピーター・グリーナウェイは大好きな映画監督のひとりである。ただ、ここ最近のものは観ておらず、『ベイビー・オブ・マコン』か『プロスペローの本』以来だ。また、僕にしては珍しくほとんどの作品を映画館で観ている。
上映が始まって、延々と長い予告編を見せられたのには辟易したけど、オープニングで大写しにされた、『夜警』のアップの映像を観られただけでも大満足だった。ここの映画館は非常にスクリーンが大きい。そこに現れるレンブラントのタッチ、盛り上がった絵の具、これだけで僕には観る価値があった。
この作品は『夜警』を描かれた背景をミステリー仕立てで描いている。ストーリーはグリーナウェイのフィクションではあるのだけど、史実と絡み合いながら、なるほどと思わせるものである。映像のところどころに、レンブラントの絵画の構図が現れる。また、彼の作品と同じく陰影の強い画面。
パンフレットのインタビューでグリーナウェイは、
「映画の最も重要なテーマはなんですか?」と聞かれて、
「”セックスと死”以外に何があると言うのだろうか。」と答えている。
そういった点でも、この作品は分かりやすい。『プロスペローの本」上映時には、画面全体に無粋な暈(ぼか)しが入っていて、その映像の魅力を甚だしくそこなっていたのだけど、『レンブラントの夜警』では、まったく無修正である。レンブラント役のマーティン・フリーマンの勃起したペニスまではっきりと画面に映されている。
一つ残念だったのは、『夜警』の画面に瑞々しさがなかったこと。現在の300年以上たった画面そのものでしかなかった。『夜警」というタイトルは通称であり、『フランス・バニング・コック隊長の市警団』を描いたものだ。絵の表面に塗られたワニスの変色のために画面が暗くなってしまっており,実際は昼間の情景であったことが分かっている。そうであるなら、映画の中でも明るく瑞々しい絵画を観たかったと思うのは、贅沢にすぎるであろうか。
レンブラントの自分の眼の秘密に関する告白(史実にはない)は、晩年の作風を暗示しているようで面白い着眼点だった。
全ての人に勧められる映画ではないけど、レンブラントが好きなら是非。美術系学生は特別割り引きで1000円で観る事ができる。なんとも羨ましい。
もう一度、観に行きたいなあ。
投稿者 corvo : 2008年1月16日 02:08