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2007年5月 3日
「capeta」、特待生制度
「もやしもん」に続き、今はまっている漫画がある。曽田正人作の「capeta」だ。
月刊マガジンで連載が始まったときから、(大きな声では言えないが)立ち読みで追いかけてきていたのだけど、念願の単行本を5巻まで買ってきた(現在13巻まで発売)。これも大きな声では言えないが、全て古本である。著作権で商売している端くれの人間としては、新刊本どどーんと大人買いと行きたいのだけど、こちらにも事情というものがある。
「capeta」は天才の物語である。母親を亡くし、父親と二人暮らしの男の子が、レーシングカートとの出会いから、その類いまれなる才能を開花していく。初めてカートに乗った日から、まさに天才の力を発揮するのだが、結果に至るきちんとした順序が、省かれる事なく描かれている。モータースポーツは、個人の競技と思われがちだが、組織の闘いである。どんなにドライバーに車を速く走らせる能力があっても、車が本来の性能を発揮していなかったり、ライバルよりも著しく遅かったら、絶対に勝つ事は出来ない。いかに天才であってもそれは無理である。
そんな状況が非常に丁寧に描写されている。モータースポーツファンにはたまらない。
だから、一足飛びに結果を出していくわけではない。やるべきことをやり、周囲の人間の理解と指示を集めながら、成功へと一歩一歩進んでいく。実にリアリティのある話ではないだろうか。
いままでの漫画やフィクションの多くは、なんの取り柄もなかった人間が、ある日目覚めて大変な努力をし成功をつかみ取るといった話だったり、天才的な才能に恵まれながらも、あまりにも不遇で不幸な試練を与えられて、へとへとになりながら成功へ向かっていくという話が多かった。そんな話、実際にはほとんど(というか全く)ないのではないだろうか。
平凡だった人間が、何かのきっかけにヒーローに、ヒロインになるといった話のほうが、読者は夢を持てるかもしれないが、所詮、絵空事でしかないだろう、共感することができない。
才能にあふれた人間が成功の階段を駆け上がっていく姿を見守っていきたい。僕は不覚にも、「capeta」を読みながら、何度も泣いてしまった。特に5巻、涙があふれて止まらない。漫画でこんな経験をしたのは初めてだ。
才能ある人間が、その才能を発揮出来る場を与えられて結果を出す。なんて素晴らしいことなのだろう。彼らの足を引っ張ってはいけない。
ここ最近、騒がれている、高校野球の特待生問題。これまでの報道を見る限り、高野連の対応、態度には憤りを感じる。何様のつもりか、いや何様のつもりなのだろう。権力者であることを、誇示しようとしているようにしか見えない。
勉強が出来る生徒にも特待生制度はある。野球以外のスポーツには、制限はないらしい。なぜ、野球だけなのか。今回の一件、誰も得する事がない。高野連のメンツのためでしかないのではないか。野球が好きで、得意で、将来を嘱望されて特待生に選ばれる。それは優遇されることであるかもしれないが、大変なプレッシャーでもある。結果が出せないかもしれない。怪我をしてしまうかもしれない。それでも日々、努力している高校生が試合も出来なくってしまうなんて、あまりにもおかしいだろう。つい最近も、テレビのバラエティ番組での一件をもとに、ある旅館を高野連の指定から外すという横暴を行ったばかりである。
日本学生野球憲章の見直しをするべきなのは明白なのに、ここにきてもなお高野連は見直しをすることはないという。
いっそのこと、プロ野球が新しい組織を作って、高校野球大会を主催してしまったほうが、シンプルではないか。風通しもよくなる。
高野連の職員が100人束にかかっても払えないような税金を払える、そんなスター選手が出てくるのがプロ野球の世界である。日本のことを考えても、高野連など解体してしまったほうが、はるかに有益だと思うだけど、どうなのだろうか。
投稿者 corvo : 2007年5月 3日 03:10