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2007年2月16日
The Unknown Skull 001
いつもありがとうございます。応援よろしくお願いします。
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久々に復元画ではない絵の制作を始める。まずはスケッチから。
ケント紙に鉛筆。
数年前から続けている「The Unknown Skull」シリーズ。
次の文章は2003年に、僕がこのシリーズについてコンセプトをまとめたものである。
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The Unknown Skull
頭蓋骨の絵を見た時、多くの人はなぜ「死」を感じるのであろうか。骨とはまさに人間の屍である。骨の状態では、すでに生命を失っている。だから、頭蓋骨に対して人が「死」を意識することは、しごくまともな感覚であると思う。
それでは今生きている私達は、頭蓋骨を、骨を、失っているのだろうか。そんなことは絶対にありえない。私達の身体を支えている根幹にあるものが、骨格である。ただ、表面に見えないだけに意識されることが少なく、一部の人(特殊な職業)以外は、その骨格を冷静に客観的に見る機会を持つことができないでいる。
頭蓋骨は脳を包み、守り、支える器官だ。そして、視覚、聴覚、嗅覚の機能を持つ目と耳と鼻があり、エネルギーを得るための顎までも有する。呼吸の出入り口でもある。精神的な部分と動物的な部分を併せ持った希有なパートであり、極めて人間的な部分でもある。
もちろん、私が描いた頭蓋骨がだれのものかは分からない。その人間がどんな人であったのか、どうのような歴史を積み重ねてきたのか、ということには全く興味がないが、その精緻な構造、質感は非常に美しくただただ魅入ってしまう。
私は頭蓋骨を「生」あるものとして描いている。それは「死」を象徴するものではない。私の描いた頭蓋骨を見て、「生」を感じてほしい。今、生きている私達の身体の中で、私達の命を支えてくれている尊い器官なのであるから。
私の作品は描写によって表現されている部分が多い。描写は重要な表現手法の一つであるのだが、描写することを目的に作品を制作しているわけではない。
私にとって描写は、極めて自然な行為である。眼球を通して脳が捉えた映像を、手に伝達して機械的に動かしていく。オートマティックに、感情ができるだけ入り込まないように、対象を見つめていく。しかし、人間の行為である以上、どれだけ正確にやろうとしても、間違い、迷い、感情的になり、印画紙に写るような像を、支持体上に再現できるわけではない。
ただし、カメラによって写される像は、あくまでも対象の表面に反射する光の量を捉えたものにすぎない。一方、私は対象の構造を理解して描写する。表面に見えていない部分にまで思いを馳せ、想像し、時には触って確かめながら描写していく。
頭蓋骨は「生」であり、花は「生殖」である。精神を生み出し、記憶を保管し、創造的行為を行う脳の容器と、子孫を残すために種(卵)を産み、育てる生殖器官である花。そこにあるのは「生」と「生」であり、「死」を想うことで「生」への渇望を、より強く持つことが出来る。
「The Unknown Skull」は「生」へ向かう強い力を表現した作品である。
2003年1月20日
小田 隆
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このシリーズの根幹になっているコンセプトなのだけど、今はもう一つ新しいことをやりたいと思っている。
頭蓋骨に近づいて、ミクロの視点になることで、広大な風景をそこに見たい。
新しいアイデアはいくらでもあるので、どれだけのものを具現化できるか。時間との勝負である。
投稿者 corvo : 2007年2月16日 00:49