« Spinosaurus scene 04 | メイン | Spinosaurus scene 05 »

2007年1月 5日

「美術教育の犠牲者」へのコメントについて

にほんブログ村 美術ブログへ
banner_01.gif
長いですが、読んでいただけると幸いです。ついでにポチポチっとお願いします。


---
昨年9月26日にアップしたエントリー「美術教育の犠牲者」に、今年になってから久しぶりのコメントの書き込みがあった。ただ、内容については、どういった論点か分かりにくい事もあり、コメント上で質問をしているのだけど、答えていただけないようなので、エントリーであらためて取り上げてみようと思う。

この「lenny」と名乗るコメンターの方は、「美術教育の研究をしているものです。」と最初におっしゃっている。ここで一番気になるのは、その「研究」を大学などの機関で行っているのか、在野で個人的に行っているのか、それとも現場の教師なのか、分からない点である。コメントにも書いたが、是非この点については答えていただきたい。

ここにコメントの全文を引用します。
---
「私は美術教育の研究をしているものです。
この掲示板の内容は私の地区でもあてはまります。
生徒が犠牲者と考えるのは、美術で何を学ぶか分からずにただ制作をすることにあると思います。
よく評価はできないという話を聞きますが、評価のないものは
学校で教える必要がないのです。
スイミングスクール、書道教室、ピアノ教室のように個人的に通えばいいのです。
私は中学校美術科を中心に研究しています。
中学校では多くが学校独自でカリキュラムを組んで取り組んでいます。私はこれに大きな問題があると考えています。
同じ公立中学校なのに先生の当たり外れが大きい。
全国どこへいっても同じ美術教育をうけられなければならないと思います。
ある学校はスケッチに力を入れている。こっちの学校はデザインの色塗りに力を入れている。また別の学校では粘土で手をつくっている。これでは不平等が生まれるわけです。
また、逆のことも感じています。
私がここのところ強く不安を感じるのはこんな授業です。
「全員が靴のスケッチ」
「自然物の構成」「立体感のある平面構成」
なぜ?
この授業の生徒の評価を真摯に教師は受け止めているのでしょうか。
確かに教科書にはスケッチをする内容があります。
しかしこれは「全員」が靴をスケッチするという意味ではありません。あるテーマがあり、スケッチを通して学ぶことに教育があります。
「自然物の構成」「立体感のある平面構成」については日本のデザイン教育も考え方が分かれ長くなるのでまた機会があれば投稿します。

最後にある統計(文部科学省)で美術教師が「生徒が楽しんでいる」と感じていても実際生徒は「分かりづらい」と感じていることがわかりました。教師と生徒の意識の違いは一緒に統計をとった音楽よりもずっと多かったのです。
美術に限らず、教師の多くは落ちこぼれの経験がありません。また、政治家や大学教授も同様です。
多くの美術教師は美術が好きかよい美術教師に出会ったからだと思います。
全員が絵が上手になりたいと考えているわけではないのです。
今のままの美術教育感が教師の中にある限りは、将来は選択教科になり、また、なくなっていく教科になるでしょう。」
---引用ここまで

最初の質問以外に、僕が質問として上げているのは、次の事である。
1.美術の授業が、日本の学校からなくなっても良いとお考えなのでしょうか?
2.世界で、美術教育を完全に無くしてしまっている国はあるのでしょうか?
3.落ちこぼれを作らない描法として「酒井式」の存在がありますが、「酒井式」についてはどんな感想をお持ちでしょうか?

また、アイスストーンさんからも、次のような質問があがっている。
「経済的見地から、図画工作の授業はモノ作りの根幹であり、美術授業はモノに付加価値を与える重要な種

それに尽きると思うのですが…。

僕の勤めている会社ではモノを作るときに、デザイン事務所にそれなりのお金を払ってます。外観は商品を売るに重要な要因だからです。で、もし学校の授業から美術が除かれたら将来どうなると思います?僕は対価の割に質の低いデザインしか生まれて来なくなると思うんですが。スウェーデンの商品ってどう思います?そしてスウェーデンの美術教育の研究結果はどのようになってますか?素人の僕から見て、美術教育とモノの付加価値は同一線上にあるのですが。

>同じ公立中学校なのに先生の当たり外れが大きい。

これは単に学習指導要領に則らない教師の問題ですよね?
それを言ったら美術に限らず、あらゆる教科に該当するんですけど。大体、改善策を考えず「要らない」になる論理付けが全く理解できません。
また、中学で授業を受ける事によって美術に目覚めた人の話は研究結果には含まれてませんか?僕はそういった人達が先に挙げた経済的要因で貢献すると思うんですけど、そうは思いませんか?」

lennyさんは、「美術教育の研究」をされているということならば、現状の批判をするだけでなく、理想的な代案をお持ちなのではないだろうか。どんな物事でも、批判をするだけなら簡単であるし、何事も完璧であるということはありえない。
このblogで何度も書いているが、美術教育が学校教育の現場から消えてしまう事は、決してあってはならないことである。
芸術的リテラシー(教養)を失ってしまう事は、大きな社会的損失である。全ての人が芸術家になる訓練が必要だということではない。当然、絵を描いたり、彫刻を作ったりする技術に重点が置かれてしまっている授業内容には、問題のある部分も多いと思う。しかし、芸術を楽しむ心を育むことに、どんなデメリットがあるというのだろう。なんら美意識の感じられない空間の中で生活する事に、僕は耐えられない。
現在の美術教育に様々な問題があることは確かかもしれない。しかし、いつまでも批判だけしていたのでは、建設的な議論にはならない。
もし仮に美術教育がなくなっていくことが自然の流れだとして、その結果得られるメリットはあるのか、デメリットは何か。美術教育に変わるものはあるのか。
美術の授業をきっかけに、美術を嫌いになってしまう生徒がいることは、とても不幸な事ではあるが、それ以外の美術が好きな生徒が犠牲になってはいけない。
自分に何があっているか、何が好きなのか。そんな選択肢が沢山あることが、学校教育の大きな価値の一つではないだろうか。

投稿者 corvo : 2007年1月 5日 02:35