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2006年11月24日

「水からの伝言」まとめ

前回の『「水からの伝言」って何だ』には、たくさんのコメントをいただきありがとうございました。初めての方とも意見を交換することができ有意義なやりとりが出来たと思います。
今回、タイトルに「まとめ」と書きましたが、多分うまくまとまらないと思います。始めから言い訳しておきます。今の僕にとって切羽詰まった問題ではないという側面が大きいのですが、少なからず科学と教育に関わっているものとして、無視出来ないことだと感じたのは確かです。

最初、川端さんのblogで「水からの伝言」の存在を知り、田崎先生の「水からの伝言」を信じないでくださいを読んだことで、批判的な視点が入り口ではあったのですが、どこをどう好意的に解釈しても僕にはデタラメとしか判断できません。
「水からの伝言」が問題であることは明白なのですが、それ以上に根の深い問題として、学校の教育の現場で紹介され道徳の授業にまで使われた実績があるということです。
実際に授業で使われたものかどうかは不明ですが、道徳学習指導案なるものがネット上にあります。これを見て驚いたのは、前回のエントリーにコメントをしてくれたアンクルディノさんの提案とほぼ一致しているということです。コメントでも書きましたが、僕は絶対に教育現場で道徳の授業であろうとも、教材として使ってはいけないと思います。今、小中学校の教育現場が置かれている背景に、根の深い共通項があるのでしょうか、「自殺」「いじめ」などがキーワードになると思いますが、多くの方が指摘しているように「水からの伝言」は「いじめ」を助長することはあっても、なくす効果は一切ありません。
人間の精神活動を「水」の判断に委ねることに、大きな疑問を感じます。ここは「惑星ソラリス」ではないのです。
美しい音楽を聞かせると、美しい結晶ができるという主張もあるようですが、日常的に極めて汚い言葉を使っていたモーツアルトの音楽での効果は、いかほどのものなのでしょうか。その音楽が美しいかどうかの判断は、人それぞれで分かれます。前回も書きましたが、美術にも音楽にも、絶対的な美の価値は存在しません。美術も音楽も、人間の精神活動が生み出したものであり、コミュニケーションの道具の一つだと考えることができます。水に美しい音楽を聴かせて、美しい結晶が出来たと主張する人たちは、自分が美しいと思っている音楽を押し付けているにすぎないのです。
今、名曲と呼ばれクラシックとして位置づけられる曲たちも、その時代の流行歌であったこともあれば、権力者の娯楽のためでもあったわけです。ヘビメタだって100年もすればクラシックです。

「水からの伝言」の主宰者は、これは科学ではなく「ポエム」であり「ファンタジー」だと主張しているようですが、そうであればもっと優れた「ポエム」も「ファンタジー」もたくさんあります。わざわざ、こんなものを選んで教材にする必要があるとは思えません。今回、色々と検索をしていて一番驚いたのは、「オノ・ヨーコからのクリスマス・メッセージ」です。これがいつ書かれたのか分かりませんが、なんとも言えない気持ちになります。「ファンタジー」で、もしこんな世界があったら素晴らしいだろう!って言うのなら分かります。そんな世界観を作品として表現するなら理解出来ます。しかし、「科学者が・・・・」と言ってしまっているのです。
「アート」は「ファンタジー」の中に存在するものではなく、「ファンタジー」が「アート」のひとつの要素にすぎないのです。
表現には自由があり、様々なアーティストが日々活動しています。そして、人類の長い歴史の中で築き上げられてきました。このオノ・ヨーコ氏の一文は、そんな人類の叡智の結晶を、一瞬にして葬り去ってしまうのではないかと思えてしまうのです。

田崎先生の文章への反論も見つけました。どうもその筋では、有名な方らしいです。はなはだ主観ですが、田崎先生の文章と比較すると、まったく美しくありません。レイアウトも稚拙で、イラストも酷い。このサイトは、ほぼ全ての記事が批判文だけで成り立っています。

ここまで書いてきましたが、うまくまとまりませんでした。時間も遅いので、後日もう一度チャレンジしてみたいと思います。
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投稿者 corvo : 2006年11月24日 02:00