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2006年5月28日
レーサーの死
先日お知らせした「わくわく観察図鑑」の仕事が一段落したのだけど、次の仕事(複数)に追われている。描き続ける日々。6月中旬までは、息の抜けない日が続く。といっても息抜きは必要。久しぶりに一冊、読了することができた。読みかけの本が日々増えていく状況の中で、一気に読むことができた。
それが、レーサーの死。
僕は車が好きで、モータースポーツが好きで、F1は毎戦楽しみに観戦しているのだけど、モータースポーツ全般に精通しているというわけではない。下位カテゴリーや、無名の新人選手となると、これまでもほとんど知らなかった。
この本は上質なドキュメンタリーである。表紙はアイルトン・セナ・ダ・シルバ。1994年5月1日にイモラサーキットで起こった死亡事故報道の話から始まる。最初の章は、この本のなかでも特異な位置づけである。死亡事故そのものではなく、そのレースを中継していたフジテレビの裏側で何が起こっていたかのルポが中心となっている。この日は、僕も深夜の放送を楽しみに待っていた。ところが、流れたのはレースではなく、セナがコースアウトとしてクラッシュし、病院に搬送されたという報道だった。このグランプリでは、前日にローランド・ラッツェンバーガーも死亡事故を起こしていた。
僕はセナというドライバーが大嫌いだったのだけど、その日以来、複雑な感情がずっと残っている。セナが速く走れなくなって、中段あたりをうろうろして苦しむ姿を心待ちにしていたのに、トップドライバーのまま伝説になってしまった。しかし、あの時のセナはピークをすぎ始めており、シューマッハ、ハッキネンなどの若手ドライバーの台頭に苦しんでいた。
僕の個人的な感情は抜きにして、「死」が身近であるモータースポーツという存在を、あらためて考えるきっかけになった出来事であったし、「レーサーの死」を読んで当時の感情がまざまざと浮かび上がってきた。
2章からは、日本で起こった死亡事故を、ドライバーの遺族と周辺の人物へのインタビューと取材を通して、たんたんと描き出していく。福沢幸雄(享年25)、川合稔(享年27)、鈴木誠一(享年37)、風戸裕(享年25)、高橋徹(享年23)、小河等(享年36)たちが死に至までの道程を追体験することになる。多くが、今の僕よりもずっと若いか、同じ年齢で亡くなっている、レーシングドライバーである以上、誰も自分から死を望んだわけではない。しかし、そのときの状況から、その死が必然的に訪れたと感じざるをえない。それらは、実際に車に乗らない人間たちによって作られていた。
大企業の論理であったり、政治的な判断の結果であったり、そんな一ドライバーにとって遠い世界の出来事が、彼らを死に至らしめてしまった。僕はトヨタというメーカーに漠然と不信感と嫌悪感を感じていたのだけど、この本を読んでこのメーカーがモータスポーツを舞台に何をしてきたかが分かった。そして、多くの悲劇の舞台となった富士サーキットを買収し、改修してF1を開催しようとしているトヨタに皮肉を感じる。これから何事もなければよいが。
詳しくは、是非この本を手にとって読んでみてほしい。モータースポーツに興味のない人間にも、人の死の重さを知る上でも、素晴らしい良書であると思う。
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投稿者 corvo : 2006年5月28日 21:36