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2006年1月23日
ゲルハルト・リヒター展
昨日は佐倉の川村記念美術館まで、友人と車で出かける。雪で行けるかどうか、心配だったのだけど、前日の雪かきのおかげもあって無事行ってくることが出来た。22日が最終日だったので、この日を逃すともう見に行くことが出来ない。美術館のある佐倉市は、自宅の近くに比べると幾分、雪が深いように感じた。
この美術館には、何度も訪れているが雪景色は初めて。美しい。
ここは常設展も充実していて、20世紀美術を俯瞰できるような作品が揃っている。印象派、キュビズム、構成主義、抽象表現主義、シュールレアリスム・・・。20世紀美術ではないが、レンブラント、長谷川等伯(等伯を変換してくれなくて、ATOKにがっかり!)もコレクションしている。
リヒターの展覧会はこの美術館では二度目である。ただし、今回は回顧展であり、彼の多用な画風を揃えた充実したもの。全体の作品数が少ないため、もの足りない感じもするが、各時代の質の高い作品を見ることができた。時系列で展示してくれると、もう少し見やすいかなとも思ったのだけど、展示スペースを考えると、これがベストだったのだろうと思える。キャプションにも工夫がこらされており、床に設置された作品との境界を示す三角の木材に、作品のデータが書かれている。ニュートラルな壁面で、画面だけに集中することができる。意外と、壁のキャプションは鑑賞の邪魔になるものだと思う。ついつい作品のタイトルや、データを見てしまうことで、余計な考えが頭に浮かんでしまう。
リヒターの作品の多くは、額に入っていないため、直接画面を見ることが出来る。本当はもっと間近で見たかったのだけど、展示監視員の目が光っていて、神経質なほど注意をしていた。
彼の具象作品は、全て写真をベースに制作されている。単眼でとらえられた世界だ。そして、ピンもぼけている。ブラシストロークにとても気を使っており、的確で無駄なタッチがない。物質としての完成度の高さも素晴らしい。
大画面の抽象画が、思った以上に良かった。色彩とテクスチャーの氾濫が、様々なイメージを生み出し、長時間、眺めていても全然飽きない。また、全身を包み込んであまりある画面の大きさが、圧倒的な存在感を放っており、このサイズでなければならない必然がある。
「11枚のガラス板」は、本当に面白かった。まさにリヒターの具象絵画の再現である。作品の前にたつと、輪郭がぼやけて、存在が曖昧になった自分の姿と展示空間を見ることになる。刻々と変わる、ガラスの中のイメージが、時間の経過とともに揺らぎ続ける感覚は、新鮮でひょっとしたらリヒターに見えている世界なのかもしれない。
美術館を出た後の、風景。空が、リヒターの描く空の絵のようだった。グレーと雲の白の対比が美しかった。大変、満足した一日だったのだけど、さすがに風邪の影響で体調は最悪。
投稿者 corvo : 2006年1月23日 23:58