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2005年11月19日
切り貼り
ダミー本の制作の続き。
今日は出来上がったエスキースのコピーに、パソコンで打ち出したテキスト原稿を切り貼りしていく。
あいかわらず原始的な方法。画像をスキャンして文字を打ち込めばいいのだけど、最初は手で切り貼りしている。デジタルツールはとても便利な道具で、文字や画像の訂正も手軽に素早く行える。では、どうしてわざわざ切り貼りなのか?
いろいろ理由があるのだけど、まず素材の手触りがある。紙を触ることで本の形態を実感することができる。時々ぱらぱらとめくりながら、完成した本の姿を想像する。
また、切った貼ったという作業のリズムも大事だ。手を動かしはさみを使ってテキスト原稿を切る。画面に配置する。少し動かす。微調整。スティック糊で固定。全ての一連の動作がリズムを生み出す。
切り貼りしている様子の写真。本当におおざっぱなやり方である。
手作業が好きなだけっていうこともあるのだけど。
昨今、デジタルツールの普及や技術の進歩によって、手軽に絵やイラストを制作することができるようになった。
実際、僕はまったくデジタルで絵を描くことはないのだけど、簡単な画像処理やデータの管理には活用している。極めて便利なツールである。
しかしこれから将来、全ての絵の制作がアナログからデジタルに移行するということは起きるだろうか。
僕自身はそうはならないと思っている。
決してデジタルツールの存在を否定しているわけではない。僕の仕事場には職業柄、平均的な一般家庭以上のデジタル設備がある。使いこなせているかどうかは別にして、プロ用と言われる画像処理ソフトも揃っている。
それでも絵を描く上でアナログツールの優位性は揺るぎないと思っている。
アナログツールには、デジタル化出来ない要素が数多くある。紙と鉛筆で考えてみよう。紙の白と言ったとき、それは一色ではない。紙の種類によって、その白さは千差万別だ。同じ種類の紙であっても、荒目、細目、極細目といった表面の仕上げの違いから色味にも違いを感じる。
鉛筆にはH、HB、B、2B・・・など統一規格の濃さが設定されているが、メーカーによってその濃さ、色味は様々である。色々試した結果、今のメーカーに落ち着いている。長く使っているからという理由もあるのだけど、ちなみに僕が使用しているのはステッドラー。日本製に比べて品質管理が悪いのか、同じ濃さでもばらつきがあることがある。そんな場合でもその鉛筆の個性として使いこなすことは可能だ。
先ほど述べた紙の表面の仕上げは、鉛筆のタッチに大きく影響する。当然、仕上がりも大きく違ってくる。これらの組み合わせから自分にベストなものを見つけていく楽しみがある。僕が今一番好きな紙はフランスのアルシュ紙(極細目)である。
ここまで書いてきた素材の持つ情報量を、現在のデジタルツールで再現することは可能なのだろうか。それは無理である。将来的に近づくことはあっても、けっして追いつき追い抜くことはできないのではないだろうか。ただしこれから先、紙に鉛筆で描かれたものが必要とされるかどうかは、また別の問題ではあるが。
油絵は発明されてから500年あまりである。そして、現在も500年前の油絵を鑑賞することができる。その当時、紙に描かれたデッサン(まだ鉛筆はなかったが)も数多く現存している。それでは、これらのものが全てデジタルで描かれていたと仮定したらどうだろうか?
デジタルで画像を見るには、パソコンやデジタル再生機器が必要である。さらに、モニターやデータを読み取るための装置も必須だろう。そして、ソフトの存在も忘れてはならない。こういった環境は各自ばらばらである。これでは、全ての人が同じ絵を鑑賞しているとは言えないだろう。
記録メディアの問題もある。現在、CD、DVD、フラッシュメモリーなどが一般的に使われているが、これらのメディアが50年後、いや10年後でも同じように見ることができるだろうか。ハードもソフトも激変しているだろう。新しいファイル形式や記憶方法が開発されている可能性も大きい。
でも、500年前の油絵を鑑賞することはできる。500年間その絵を保存するには、修復や適正な保管など多くの手間と努力が必要だったのは事実だが、その描き手の込めた情報を受け取ることは可能だ。
今、デジタルでしか存在しない画像を、500年後も鑑賞することは可能だろうか。
デジタルで絵を描く人にも、是非アナログの素材を経験し制作に活かしてほしいと、僕は思う。
投稿者 corvo : 2005年11月19日 16:50