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2005年10月08日
美術の授業
昨日は朝から都内の高校で非常勤講師の日。
1年生と2年生の選択美術を担当しているのだが、美術の授業というのは難しいところが多い。
楽しみや息抜きで来てもらっては困るということは、4月の段階で話はしてあるのだけど、一つの制作が長期間に渡るため緊張感を持ち続けることが困難になってくる。
また、自由に好きなものを描いてもらうわけでなく、かなり厳格に課題を設定しているので、(少々意に添わない課題だった場合)その段階で落ちたやる気を盛り上げていく必要もある。
毎回、授業の始めに7分ポーズのクロッキーをやることにしている。生徒が持ち回りでモデルをつとめ、短時間で人物をスケッチするもので、手と眼のウォーミングアップをかねている。このクロッキーで大切なことは、頭のてっぺんから足のつま先まで画面に入れることと、人体のプロポーション、構造を正確に捉えようとすることにある。
なので服装や服のシワを描写することは重要でなく、顔の表情もほとんど描かなくてもかまわない。そうはいっても気になってしまい多くの時間をとられ、人体を描くまでいかない場合も多い。
毎回、このクロッキーに参加して描くようにしている。これが非常に良い訓練になる。
今回の授業でも描いていたのだけど、近くにいた生徒のクロッキーがどうにも気になり、早めにクロッキーを切り上げて(5分ぐらいで制作)色々指摘をしたのだけど、これが逆効果で生徒を怒らせてしまったらしい。
あまりに衣服のシワに囚われすぎていたので、「肩はどこ?」「肘はどこ?」「腰と脚のつながりは?」という質問に「分からない。分かるわけがない。」の一点張り。難しいのは分かるのだけど、最初から分かろうとすることを放棄されては困ってしまう。出来なくても見ようとする姿勢、分かろうとする姿勢が大切であって、腹を立ててしまうのでは聞き分けのない子供とかわらない。これでは、今後も何かアドバイスすることが難しくなってしまう。
今、やっている課題は「自画像」なのだけど、この課題にたいする最初の拒絶反応は大きい。
特に女子校ということがあるのかもしれないが、自分の顔を見つめ続け描くことを嫌がる生徒は多い。
この場合は、出来るだけ客観的に突き放して、自分の顔を見ることを念頭においてもらう。そして、人間の顔の骨格、筋肉、眼球の周りの構造など、人体の一部としてとらえることに努めてもらう。
また、光のあたりかたから、自分の顔の凹凸にどうのような陰影ができるのかも重要である。
「顔」を描くときに、多くの人は顔の輪郭から始めるのではないだろうか。これは実は描くことをとても難しくしてしまう、と僕は思っている。
輪郭を先に描いて、眼や鼻や口の位置を決定していくことは、ものすごく難しいことではないだろうか。人間の顔のパーツは、ほんの少しでも位置がずれただけで大きな違和感を感じる。
どうすればよいか?鼻から描くのである。鼻は顔の中心にあり、もっとも出っ張っている部分である。これを基準にしない手はない。鼻から口までの距離は?眼までの距離は?鼻の長さに対して、顔の長さは?輪郭は最後に決めればよい。
これは僕が人の顔を描くときに利用している方法である。
投稿者 corvo : 2005年10月08日 00:10
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corvoさんという方から僕の美術教育に関する記事にコメントをいただいた。彼は芸大大学院出身のフルタイムの絵描きさんで高校の非常勤講師をされている。
... [続きを読む]
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酒井式が2歳児までを対象としていることを知り、もういくらなんでも黙っていられなくなりました。今、自分の子どもは中学校1年生... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2005年10月19日 01:20
コメント
高校でも教えておられるんですかー。いいなぁ。。(いや、生徒が)
先生のアドバイスもプレッシャーにはなるんでしょうね。
プレッシャーへの対応が反発や萎縮のような形になるのは
そういうお年頃って事なんでしょうか。
私も高校の選択で美術をとってたのを思い出してしまいました。
自画像、わざとほっぺたをちょっとスリムに描きました(笑)
自分の顔を整形手術するつもりで多少変化させたら、
自分の顔に自信がなくても楽しいかもしれないですね(?)
そういえば確かに輪郭から描くと難しそうですね。
私も眉間辺りから描いたり造ったりし始めます。
あまり意識してはなかったんですが・・
投稿者 SHINZEN : 2005年10月08日 05:02
SHINZENさん>
自画像は似てなくてもいいです。自分の似顔絵を描くことが目的ではないので、人の顔ってこんなふうに出来ているのか、と思ってもらえればよいです。
よく生徒どうしで似てるかどうかの評価をしあっているのだけど、そんなことはやめなさいと何度も言わなくてはいけません。
輪郭から描くことがなぜ難しいかというと「輪郭」というものがこの世に存在しないからです。
投稿者 corvo : 2005年10月08日 11:06
あああ…懐かしいです。最初のクロッキーの時間は、一種の儀式みたいなものがあって、私の中では次にはじめる作業のonoffのスイッチ的役割だったように感じます。先生がお休みした時、皆であのクロッキーの時間がないとなんとなく違和感を感じると話していました。
人物を描くというのはついつい表情を似せようとしたり、服の皺を上手く表現したくなってしまうんですよね…。それらを上手に描くことで、クロッキー全体がすごく上手に見えてしまうんです。こういう目先の華やかさ(?)に寄りがちなので、本来の目的である画面に入れることと、人体のプロポーション、構造を正確に捉えようとすることを積極的に指摘しないと身につかないかもしれません…。その指摘をする時に、画面全体に描けていたり、上手に構図が描けている子を毎回積極的に褒めるようにすれば自然に意識するようになるかな、なんて思いました。
自画像も懐かしい!私は自画像を描くという授業を受けたことがなかったのでついにこの日がきてしまったのか…と憂鬱でした(苦笑)先生のおっしゃる通り、自分の顔を見つづけることは照れくさいんですよね…なかなか客観視できないところがありました。
自画像はやっぱり似てるか似てないかで上手いか下手かがきまるという先入観が強いですし…やっぱり客観視しろということを、何度も言われないと、意識できないのだと思います。
先生の授業が色々と懐かしく蘇ってきました!卒業すると、ああすればよかった、こうすればよかったと後悔がわんさか出てきます。また高校生に戻って先生の授業を受けたいよー!!
そのうち私の妹が教わる日が来るかもしれません!!
投稿者 RENA : 2005年10月10日 01:46
RENAさん>
クロッキーは僕自身も授業を始めるための準備体操のようなものでした。
美術の授業で上手く描く必要は無いのですけどね。
他人と比べて相対的に評価しているわけではないので、一人一人が課題を咀嚼してどう表現していくかが重要です。
自画像も時間がすすんでいくと、けっこう皆平気になっていきますね。
鏡の向こうに誰かいる、ぐらいに思えれば良いのですが。
絵はひとりでも描けるので、プライベートでもどんどん描いてみてください。
投稿者 corvo : 2005年10月10日 10:38
たまさんのところから回ってまいりました。
いまさらで悪いのですが、どうもこれがずっと気になってたんですよ。
正確な状況が分からないので何とも言えないのですが、怒った生徒が正常と言いますか、気持ちはよく分かりますね。
「肩はどこ?肘は?」
なんて聞かれて分からないのは仕方ない。もともとが、肩や肘がどこかなんて意識にないと思うし。それを「どこ?」なんて聞かれたら私だって怒る。
どうもcorvoさんのやり方が堅苦しすぎないかなあ。
選択授業も授業ですが、こんな授業だと、この子達は、この後の人生で絵を描く気なんてなくすんじゃないかなあ。
corvoさんは有名な芸大の大学院まで出て、画家としてやってこられ、当然、「絵の描き方はこうである」という確固としたものがあると思います。でも、それは生徒にしろ、あるいは私のような素人絵描きには何ら意味ないことなんですよ。
顔の描き方だって、画家の方どうしでも言うことは全然違います。まず球を描けって人もいます。corvoさんの言われる「鼻から描く」というのは、かなり訓練しないとうまくいかないと思います。顔なんて複雑な立体ですから、鼻から口までの距離なんて、絶対見当違いを起します。corvoさんが利用していても、他の人にも最適とは限らないのではと思います。
文句ばっかりで申し訳ありません。
読んでから、ずーっと気になってたものですので。
どなたかが、corvoさんに教えてもらえるとは幸せな生徒達だと書かれていましたが、私はどうもそんな気がしません。
例えば、私が絵画教室に行ってcorvoさんが先生ならちょっと考えます。先生であるからには、それに近付こうと努力するのが筋ですが、あまりに差がありすぎて挫折するのが先と思います。このあたり、岡本太郎さんの「今日の芸術」にも書かれていました。
「画家の先生のように描けるわけがない」って。別にうまく描く必要はなく、表現する楽しさを感じるのが大切だってそんなものでした。もちろん、授業となると違うかもしれませんが、生徒さんが大人になってからも、時間があったら絵でも描いてみようと思うようになって欲しいものと思います。
投稿者 けい : 2005年10月14日 00:55
けいさん
コメントありがとうございます。
けいさんの考え方には、残念ながらほとんど賛成できません。
クロッキーにおいて人体の構造を知ることは大切なことです。そのために4月から人体の構造について説明をし、どこに重心があるのか、どうやって人がバランスをとっているのかを観察するよう、出来るだけ分かりやすく意識できるよう説明してきました。
少なくとも、僕は上手く描くことを強要してはいません。
課題の中に制限や、ルールは設けています。それは自由になってしまうと、分からなくなることの方が多くなってしまうからです。
「絵の描き方はこうである」というものは基本的にありません。「絵というものはこういうものである。またはこういうものではないだろうか」ということを考えたり、追求していくことが大切であると思っています。
道具を使う以上、効率の良い描き方はあります。それは基本として知っておいて欲しいので、きちんと説明します。その道具と素材を使って、自分のイメージした物をどう表現していくかは、各個人に任されます。
「鼻から描く」は、僕独自のものかもしれませんが、一応、根拠はあります。ギリシャ彫刻の顔は鼻の長さを基準にプロポーションがとられています。そこには人間が長い歴史のなかで培ってきた普遍的な美意識があると思います。こういったことも生徒に知って欲しいと思っています。
>先生であるからには、それに近付こうと努力するのが筋ですが、あまりに差がありすぎて挫折するのが先と思います。
僕は、生徒が自分に近づこうすることは、全く望みません。
「近づこうと努力するのが筋」とも、全く思いません。
将来、生徒たちに一番望むことは、美術の授業で経験したことを仕事や生活に活かしていってほしいということです。
投稿者 corvo : 2005年10月14日 01:46
けいさんのご意見もなるほど。と思いました。
でも、私はやっぱりcorvoさんに教えてもらえるのは面白いと思いますよ。
「この先生のやり方は許せない」って思うのもアリだと思います。
それを「怒り」で表現するのもアリかもしれないですね。(いや、ナシかな??)
ただ「あの美術の先生が嫌いだから、私は美術が嫌いになった」
という生徒が居たとしたら、それはその生徒の問題なんじゃないのかな。
ちなみに私は、学校の授業は全体的にあまり好きじゃなくて
むしろ学校外の生活で楽しんで生きてきた人間ですが、
嫌いだった先生のせいで、その先生の受け持つ科目に関係する
事が嫌いになったって記憶は無いですね。
(同級生に言わせれば「おまえ、授業でてなかったやん」て言われそうですが・・汗)
選択授業で「美術」をとった生徒が皆、「美術に少しでも興味がある生徒」とは
言えないですよね。むしろ「演奏しなくていいし、漢字が苦手でも平気。
落書きしてたらその時間がつぶれる」って思ったり「仲の良い子が一緒だから、
他の授業より少しは楽しいかも」って生徒も少なからず居るはずです。
そこで、そういう生徒に「じゃ、友達と話しててよ。じゃ、落書きしててね。」
なんて言う先生も良い先生ではないですよね。
(けいさんがそうおっしゃってる訳じゃないのは解ってるんですが)
美術に少しでも興味がある子は、授業が多少キツくても
「知らない事を得た」という実感があれば楽しいと思います。
その「知らない事」のレベルが高すぎると確かにやる気が無くなることも
あるかもしれないですが、高校美術としては、少しは専門的でないと
興味のある子に対して失礼な授業にもなりかねませんよね。
美術に全く興味関心がない生徒には・・すごく苦痛かもしれないですが。。
でも、自分の意思でその学校を選び、その授業を選んでその教室に席を置くわけですから、
怒ってスネちゃったり、自分から拒否するのはどうなのか??と思ったりしました。
私は学校の授業というものは「自分にない新しい知識を増やす場」
であって欲しいと思います。その時点で「楽しい授業」なはずです。
その次に「先生がオモロけりゃラッキー」みたいな。。
偉そうな事を長々と、すみません。
投稿者 SHINZEN : 2005年10月14日 10:49
>先生
そうですね!自画像にとまどいを感じるのは私もはじめのうちだけでした。(笑)絵は今もたまーに妹と一緒にお絵かき大会を開催して一緒に描いたりしています。ああー油絵セットを学校においてきたことが今でも悔やまれます…。
>けいさん
はじめまして!ちょっとけいさんのコメントで気になる点があったので、突然失礼だとは思いますが、実際先生に教わっていた私の考えを述べさせて下さい。
けいさんは、
①もともと肩や肘がどこかなんて意識していないから、「肩はどこ?肘は?」と聞かれて怒るのは正常なことである。
②プロの言う「絵の描き方はこうである」という認識は、素人にとっては何ら意味がないことである。
③先生であるからには、それに近付こうと努力するのが筋だが、あまりに差がありすぎて挫折するのが先、であるから生徒達は幸せだと思えない。
というようなことをおっしゃっていましたが、私の考えでは、
① 授業では、人の体の構造(それこそ肩はどこか?肘は?脚は変に曲がっていないか…等)
を意識してクロッキーするように言われていました。なので生徒は意識していると思いますしこれは遊びではなくて授業なのですから、学ぶべきことは学ばなければいけないと思います。確かに、先生の言い方は生徒にとってきつく感じ、反抗心を煽られてしまったのかもしれません。しかしそこで「分からない」の一点張りは、もう高校生にもなるのに随分幼稚な反応だと私は感じました。「確かにそうだな…次はもっと注意して描いてみよう」こう感じるのが正常なのではないでしょうか?絵を描くことに限らず、意識していなかった点を指摘されて怒り出すというのはいかがなものでしょう?
② プロの言う「絵の描き方はこうである」という認識は、素人にとって大いに意味があることだと思います。プロがどのような認識を持って描いているのか知ることで、こんな方法もあったのか!こうやって描くのもありなのか!と新しい見解を得られることができます。それに、先生は必ずしも「顔を描くときは鼻から描け」と強制しているのではなく、「鼻から描くといいと自分は思っている」と考えを提示しているだけです。実際先生の授業で人の顔を描くときは鼻から描きなさいなどと強制されることはありませんでした。
③ 先生であるからには、それに近付きたいと感じる。これは私も同感です。私は先生の描くものをみながら、言葉は悪いですが必死にその技術を盗もうとしていました。そしてそういう生徒は私だけでなかったことも確かです。私が、羽を描きたい!と思った時に先生が描く羽は繊細でふわっとした感触が出ているのはどうしてだろうと、必死に目を凝らして描く様子や描いたものを眺めていました。しかし、そう努力(?)することが筋だとは限りません。けいさんのおっしゃるとおり、それでも自分はこう表現したいんだ!こう描きたいんだ!という意識があればそれを自由に表現すれば良いと思います。そして、そのような考えを構築するのは、まず大前提である基礎的な知識は必要です。授業ではその基礎の部分を学ぶわけですから、それらを踏まえた上で自分なりのスタイルを構築していけば良いのではないかと思います。
けいさんは、先生の書かれたblogを読んで、随分堅苦しい授業だ、これでは生徒達が今後絵を描く気をなくすのでは?こんな凄い先生が教師では差がありすぎて生徒達は不幸せだ。と危惧されていましたが、実際の先生の授業は全く堅苦しくありませんでした。学ぶ意欲のある生徒は、積極的に先生に「~な風にしたいけど上手く表現できない…」などと相談したり、人体の構造をもっと詳しく知りたいから人間の骨格が描かれているプリントが欲しいなどと先生にお願いしていました。そして私はこんな素晴らしい先生が絵を教えてくださるなんて、なんてラッキーなんだ!!この機会を逃す手はない!!などと考えていましたし、少なくても私の周りの生徒は皆そう考えていました。本当に私は幸せ者です。なのでけいさんの見解は、いささか早計であると感じざるを得なかったです。
先生のコメントと被ってしまう点もありました。
長文を失礼しました。
投稿者 RENA : 2005年10月14日 22:40
>SHINZENさん
コメントありがとうございます。
僕自身、高校生の時はけっこうイヤで駄目な生徒でした。
美術は熱心にやっていましたが、学科のほうは進学校には行ったけど挫折して、ひねくれてなんて感じの駄目駄目でした。
今、思いだしてもぞっとするぐらいです。
なので「こいつ嫌いだ」という理由で、ちゃんと受けなかった授業あります。
しかもそれが生物だったというオチまであります。今、こんな仕事しているのに。
SHINZENさんのほうが大人だな。
>RENAさん
コメントありがとうございます。長文コメントも歓迎です。
今でも絵を描いているということ嬉しいです。
時々、家族をモデルにクロッキーやってみると新鮮な発見があるかもしれませんね。
「鼻から描く」も提案としてやっていましたが、それ以外の方法でも別に構わないです。
でも、鼻から描くをやってみると、上手くいく生徒が多いのも事実だと思っています。
けいさんも鏡を見て自分の顔を描く時に、試してみてはいかがですか。
上手くいく保障は出来かねますが。
投稿者 corvo : 2005年10月15日 00:32
RENAさんへ
こういった短い文章のやりとりの中で感じるのは、誰でも自分の言いたいことを必ずしも正確に表していないものだということ。
さらに、それが相手に正しく伝わるのはせいぜいが2割で、生きてきたバックグラウンドが大きく違うなら、隠された深い意味はほとんど伝わらないことです。
corvoさんの最初の文書で私に伝わったことは、おそらく正確ではないだろうことを私も断った上で書いたのですが、それでも書くまでに2日くらい置きました。
同じ意味で、私の考えの大部分はおそらくRENAさんに伝わってはいないはずです。
RENAさんが私の書いた文章を読んで、RENAさんが理解したことが必ずしも私の考えと一致するわけではないと考えて下さい。
あなたが丁寧に書いて下さったことは、常識として私にも了解済みのことです。いえ、悪い意味ではなく、基本的に正しいことは私も同意という意味です。
corvoさん、SHINZENさんも丁寧なご返事、ありがとうございます。
投稿者 けい : 2005年10月15日 00:49
以前、自動車教習所に通ってた頃、「ココの制限速度は?
お前は何キロだしてた?標識は?確認は?何処みて運転してるんだ!
返事が聞こえない!お前の運転は人を殺す。そんなんじゃ、どこの駐車場にも入れない。
ホンマに仮免通ったんか??」と延々うるさく攻め立てられたので、腹が立って
「今後は違う教官でお願いします」と申し出た事がありました。
けいさんが「肩はどこ?肘は?」という言葉に、そういうのと
同じようなイメージを持たれたのかなと、ちょっと思いました。
でも、corvoさんがこの教官みたいに異常に攻め立てるような先生でないのは、けいさんもお感じだと思います。
どんな先生であろうと、生徒には誤解であれ責められてると感じてしまう事があるのも
事実だと思います。相手が「年上」と言うだけでも多少は緊張しますもんね。先生の立場は難しいと思います。
「絵は自由に描いてこそ」というのもすごく良くわかります。
「自由に描くべし」と教え導くのも方法としてはアリなのかもしれませんが、
それは多分先生にも生徒にも、実は相当に難しい事かもしれませんね。。
RENAさん
私はcorvoさんの授業を受けたわけではないのですが
このブログでも、親切に教えておられるのかなーって想像できますよね。
そうそう、羽のふわっとした感じ、びっくりしますよね。私も初めて生で拝見した時に感動しました。
corvoさん
生物の授業出てなかったんですか。良い話じゃないですかー(笑)
私はちゃんと授業出てたんですが、こんなありさまで・・・・・
また生き物の事、いろいろ教えてください!!
けいさん
こちらこそ、長いコメント読んでいただいてありがとうございます。
けいさんがお気を悪くされてなければ良いなと思ってます。
あー、またいっぱい書いちゃった。。。
投稿者 SHINZEN : 2005年10月15日 01:49
>けいさん
コメントについて、いくつか不明な点があります。
>こういった短い文章のやりとりの中で感じるのは、誰でも自分の言いたいことを必ずしも正確に表していないものだということ。
さらに、それが相手に正しく伝わるのはせいぜいが2割で、生きてきたバックグラウンドが大きく違うなら、隠された深い意味はほとんど伝わらないことです。
誰でもとはどういうことでしょうか。もちろん僕自身も100%伝わると思っていません。それでも100%伝えたいと思い、文章を書こうとします。僕をひとくくりにされてはたまりません。
せいぜい2割とはどこから出てきた数字でしょうか。
生きてきたバックグラウンドが違うと、伝わらないものなのですか。それでは普遍性を求めて、表現を追求していく人間の努力は無駄なのですか。
僕は生きてきたバックグラウンドなど、それほど重要な要素ではないと思います。
私はあなたとお会いしたことがありません。私はあなたのバックグラウンドを知りませんし、あなたも私のバックグラウンドを知らないと思います。プロフィールに書いてあることは、表層的な事実でしかありません。
そういった状況で「生きてきたバックグラウンド」を持ち出すのは、とてもおかしなことだと思います。
>同じ意味で、私の考えの大部分はおそらくRENAさんに伝わってはいないはずです。
RENAさんが私の書いた文章を読んで、RENAさんが理解したことが必ずしも私の考えと一致するわけではないと考えて下さい。
あなたが丁寧に書いて下さったことは、常識として私にも了解済みのことです。いえ、悪い意味ではなく、基本的に正しいことは私も同意という意味です。
RENAさんに伝わっていないと、どうして断言できるのですか。
もし一致していないのならば、どこが一致していなくて、どこが一致しているかを説明するべきではないですか。
基本的に正しいこととは何のことで、どこのことを指しているのですか。それが明らかでなくては、何に同意しているのか分かりません。
投稿者 corvo : 2005年10月15日 16:54
>SHINZENさん
いつもコメントありがとう。
自動車教習所は僕も苦痛でした。近いというだけで選んだら、悪評高い講師陣のそろった教習所だったのです。登校拒否になってしまって、結構時間かかりましたよ。
生物の授業は出ていましたが、聞いていませんでした。ようするにずっと寝てただけなのです。あまりの基礎知識のなさに、研究者と話していて「やばい!」と思うことがあります。そんな時は、素直に「分かりません」て言っちゃいますけどね。
コメント欄が活発な議論の場になることは歓迎です。
どんどん書き込んでくださいね。
投稿者 corvo : 2005年10月15日 17:02
corvoさん、こんにちは。活発な議論興味深く読ませていただいてます。
高校生は1年生から立派に自覚した人も多いと思うので、しっかりした授業、
いいなあ、うらやましいなあ、という感じです。
「自由に描く」ことも決してマイナスではありませんね。私の高校時代、
美術の主任がセザンヌが大好きで、色を印象派ふうに沢山使うのがひとつの
「暗黙の了解」みたいになっていたのだけれど、その方が退任されたあと、
下級生のいろいろなスタイルで描いた絵を見て
「私たちの時は先生のプレッシャーが強かったんだなあ」と気づかされたことも
ありました。
個人的にやはり「基礎を押さえる」ということが良い勉強になると思います。
最近、私はミラノのある美術館でラファエロの大きなデッサン(下絵)を見たのです。
そのデッサンがあんまりすばらしくて、他に沢山展示してあった、
宗教画のデッサンの狂いがどうも気になり始め、
純粋に見られなくなってしまったのです。(宗教画の知識も貧弱なので - -;)
その話を夕食を一緒に食べた友人二人
(二人とも子供の絵画教室の講師、日本人)に
「どうも、他の絵の下手な部分が気になって」
と、話したところ、二人から「絵はうまい下手じゃない」ときっぱり切られ、
そのあとは子どもたちの親がそれぞれ独特に持った「巧い絵」という価値観
を押し付けることの弊害についての話に終止してしまいました。
その場で「いや、私が言いたかったのは…」と反論するにも
元気がなかったのですが、なんとも後味の悪いことでした。
私はそのとき、空間をとらえ、生き生きとした人物や背景を描く技術が
存在しながら、どうして昔、プロの画家たちが、
あまりそれを活用しなかったのだろうか?
なぜそういう絵が少ないのだろうか?ということを
素朴に疑問に感じておりました。
好みの問題になってしまうかも、でもやっぱり不思議。
話がそれてすみません。
投稿者 田中清代 : 2005年10月15日 19:46
>田中清代さん
こんばんは、コメントありがとうございます。
東欧と北欧の旅、良かったみたいですね。こんど、お話聞かせてください。
基礎を知った上で、自由に描くとさらに自由度が増すと思うのです。
飛ぶ練習しないで地べたをはい回っているよりも、飛ぶ練習をして空へ羽ばたいてしまったほうが可能性が広がります。
そんなふうに思いながら授業をやっています。
僕も一人だけ近所の子供を個人レッスンしているのですが、うちにある頭骨コレクションをただひたすらデッサンしてもらっています。
親としては絵が好きなので、絵を描く場を与えてあげたいというだけでうちに来ているので、何の競争もないし価値観の押しつけもないし、ゆったりした感じです。
小学5年生の男の子なのだけど、集中力が素晴らしく1時間30分の間、ただひたすらに手を動かし続けています。今度、清代さんにもこの子のデッサンを見てもらいたいですね。
絵が上手くなった方が、その人の表現にあっているなら上手くなったほうがよいだろうし、そうでないなら別の方法もあるだろうし、でも、基礎は大切だと考えています。なので、この子にも僕は基礎の部分だけ指摘するようにしています。
>私はそのとき、空間をとらえ、生き生きとした人物や背景を描く技術が
存在しながら、どうして昔、プロの画家たちが、
あまりそれを活用しなかったのだろうか?
活用できなかったのかもしれません。
それらをきちんと使いこなせる画家は、それほど多くなかったのではないでしょうか。
いつでもコメント歓迎です。また、覗きに来てください。
そうそう、SCBWIの会員になりました。
投稿者 corvo : 2005年10月15日 22:16
>けいさん
私の読解力がないせいかもしれませんが、おっしゃってる意味がよくわからなかったので、もう少しわかりやすい言葉でお願いします。
先生の最初の文章に対し、
「正確な状況が分からないので何とも言えないが」という前置きをしている、更に言えば時間を置いて熟慮した上での投稿だった。 というけいさんのお考えはわかります。がしかし、その熟慮した上での投稿が、「怒った生徒が正常」「やり方が堅苦しい」「プロの確固たる認識は素人には意味がないこと」「先生であるからには、それに近付こうと努力するのが筋だが、あまりに差がありすぎて挫折するのが先」その結論として「生徒達が不幸せ」というのはあまりにも早計であると同時に、「正確な状況が分からない」人間がこのようにコメントするのは、大変先生に対して失礼なのではないか?と私は感じるのです。けいさんはどうお考えですか? もし、私が上に書いたようなこととは違う内容のことを書いたつもりだったのでしたら、どの点が違うのか教えて下さい。
私は極力けいさんのコメントを読み込み、けいさんの使われた表現を用いて自分のコメントを書くようにしています。それでなぜ大部分が伝わっていないなどといわれるのかわかりませんでした。私は「怒った生徒が幼稚」「やり方は堅苦しくなかった。どこが堅苦しいのか?」「プロの確固たる認識は素人にとって大いに意味がある」「先生に近付こうと努力するのが筋だと限らないし、挫折感も感じなかった。」結論として「私は先生の生徒でとても幸せだったし、そう感じているのは私だけではない。よって、生徒が不幸せだというのは早計である」と書いているのです。けいさんの書かれた文章と矛盾するとこはありますか?もしあったら指摘してください。
もし、けいさんのおっしゃる「隠された深い意味」というものが存在するというのなら、是非知りたいと思いますし、結果として私がけいさんの文章を間違って解釈していたのならば改めたいと考えています。ここは先生のblogであり、先生がコメント内での議論を歓迎してくださっているのですから、思う存分語って欲しいです。(なんて私が言うことじゃないけれど…それだけ貴方を理解したいということです。)
また、「基本的に正しいことは私も同意」というのは、一体どの点について同意なのかわからないので教えて下さい。もし、けいさんが同意に感じている内容が私の前回のコメントの中にあるとしたら、それはけいさんが既に「常識だ」と考えているのに、私が「貴方はこう考えているみたいだけどそれは違う!」とコメントを返してしまったことになると思います。思い当たる点はありますが、(あまりにも常識的なことなので…大人であるけいさんが心得てないということは有り得ないだろうと思ったところです)勘違いしてしまっていては申し訳ないので、是非けいさんの口(?)からどの点について同意に思っているのか聞かせて下さい。
バックグラウンド云々については、今回のコメントのやり取りに一体どう関わっているのかわかりませんが、もし仮に「こういった短い文章のやりとりでは、自分の言いたいことが正しく伝わるのはせいぜい2割で、生きてきたバックグラウンドが大きく違うなら、隠された深い意味はほとんど伝わらない」とお考えなら、それこそ先生のバックグラウンドを知らない貴方が前回のようなコメントを残したことに疑問を感じざるを得ません。
「こういった短い文章のやりとりの中で感じるのは、誰でも自分の言いたいことを必ずしも正確に表していないものだということ。さらに、それが相手に正しく伝わるのはせいぜいが2割で、生きてきたバックグラウンドが大きく違うなら、隠された深い意味はほとんど伝わらない」
という貴方の考えに、非常に興味があります。先生も疑問に思っているみたいですし、授業云々の話題からそれてもかまわないと思うので、是非詳しく貴方の考えを教えて下さい。
(どうですか?先生、だめですか?ちょっとずれてもいいでしょう? と強引に言ってみる…。)
またまた長文を失礼しました…。
投稿者 RENA : 2005年10月16日 02:11
はじめまして。岩田といいます。山崎先生のブログからやってまいりました(^^)
顔の描き方についていろいろと展開されているのを興味深く読ませていただきました。自分は中学校で美術を教えていますが、ちょうど今、1年生で「自画像」として版画を行っています。ただ、版画に入る前にじっくり時間をかけつつ自画像に取り組んでいます。ちなみにクロッキーなどは行っていません。以前の学校では行っていたこともありましたが、その時は体の構造とかよりも「動き」「流れ」という全体から発するものを捉えるようなものをねらいとして行っていました。
さて、今の学校では2年目ですが… じっくりと描くにあたり、顔の構造については話をします。その一般的な比率や位置関係、大小関係、骨格とのつながり…専門的な言い方ではなく、面白おかしく話をしてあげながらです。中学生ですから(^^;)
生徒は自分で自分の顔を触り、友達の顔を眺めつつ、キャーキャー言いながら「本当だ~」とか、その『発見』を楽しんでいます。そしてその後に描き始めるわけです。
私は鼻からとかという限定はしていません。あえて言うなら、脳を意識させた「ハゲ頭の卵型輪郭」を大まかに描かせることをしています。その後はどこから描こうと「比率や位置関係」を意識させつつ微調整していくだけです。
ただこの方法で描かれる顔は今まで「無表情」であることが非常に多かった…。ようは「観察画」になってしまい表情が消えてしまうのです。よく観ているので似てはいる、しかしかもし出す雰囲気が似ていない…。私はどうしてもそれが引っかかっていたのです。で、今、試験的に「腹話術的方法」で行っています。各顔のパーツを作り、輪郭を描き、それにパーツを切り貼りし顔を作っていく。そしてイメージを加えつつ微調整する。そうすると不思議と表情のある顔が出来上がるのです。
しかしこれがいい方法かはわかりません。私自身、模索し筒の試験的取り組みですから…。
投稿者 iwata : 2005年10月19日 01:37
>iwataさん
コメントありがとうございます。
自分でもblogをやっていなかったら、この問題には行き当たらなかった気がします。今、出発前でごたごたしているので、美術の授業に関してはもう一度まとめて、エントリーとしてアップしたいと思っています。
僕は自画像を描いてもらうときは、似なくていいよと言ってます。まずは人体の構造を把握してほしいと思ってます。
こんど、ゆっくり書きますので、もう少しお待ちください。
今後ともよろしくお願いいたします。
投稿者 corvo : 2005年10月19日 10:42
はじめまして、高校で美術を教えているさかいと申します。
山崎さん、シキカツさんのサイト経由できました。
corvoさんの授業のようす興味深く拝読させていただきました。
私も同じような体験をしています。
記号としてではなく、ありのままをとらえる力を美術をとおして身に付けさせたいと考えています。見たもの(光やかたち)を見たとおりに認知するためには訓練が必要です。少ない授業時間でどのようにしてそれを獲得させるかが私のテーマです。
西洋産の「芸術」にこだわりすぎると視野が狭くなり、柔軟に思考することができなくなると感じています。
投稿者 さかい : 2005年10月19日 17:24
>さかいさん
初めまして、コメントありがとうございます。
アメリカへの移動が重なって、返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
美術の授業時間の中で、全ての生徒がその能力を身につけることは難しいと思っています。学科にも得手、不得手があるように、どうしても個人差が出てしまいます。実技の課題で達成感をえることは大切ですが、そこにばかり腐心してしまうと、カルチャーセンターの教室と同じになってしまいます。
実技を通してえる「ものを見る力」と、授業中の対話を通してえる「ものを伝える力」が、うまくバランスをとれれば良いのですが。
>西洋産の「芸術」にこだわりすぎると視野が狭くなり、柔軟に思考することができなくなると感じています。
一つの方法を突き詰めることが、普遍性へ突き抜ける可能性も持っていますし、柔軟な発想がそのことを後押しすることもあります。
「基本」に関しては、西洋も東洋もないと考えているので、生徒たちにうまく伝えることが出来ればと思っています。
投稿者 corvo : 2005年10月21日 18:20