« 猫のhead 02 | メイン | 猫のhead 03 »
2005年10月 9日
F1日本GP
今日は、生中継のF1日本グランプリをテレビ観戦。
間違いなく素晴らしいレースであった。おしむらくはドライバーズタイトルがかかっていなかったことであろうか。
でも、いまだにコンストラクターズタイトルは僅差でもつれており、ルノーとマクラーレンのどちらがとってもおかしくない状況である。
昨日の予選、佐藤琢磨の集中力は素晴らしく、今日に繋がる走りであったと思ったのだけど、今回のレースも彼に良い流れはなかったようである。
今回のレースのキミ・ライコネンとフェルナンド・アロンソには、正直ショックを受けた。
彼らのアスリートとしてのスキル・・・技術、集中力、闘争心、冷静さ等々、全てがずば抜けている。今年、ここまでタイトル争いをしてきた二人だが、車の出来も含めて圧倒的であった。今年鈴鹿で観戦した人たちは、本当に幸運であったと思う。
ライコネンは金曜日にエンジンを交換したため、レギュレーションにより予選順位の10番手降格が決まっていた。しかも予選は土砂降りのなかの出走順で、17番のスターティンググリッドとなってしまった。また、アロンソも出走順位の関係で予選で速いタイムがだせず、16番からの出走であった。
鈴鹿のコースは抜きにくいコースのひとつとされている。しかも現代のF1マシンは空力により車を安定させているため、ラインをはずしたり、前の車に近づきすぎると極めて不安定で抜くことが状態なると言われている。
このような状況のなかで彼らがだした決勝の結果が、ライコネン優勝、アロンソ3位表彰台というものであった。
初めて鈴鹿でF1が開催されたのが1987年。この当時の一周あたりの最速ラップからくらべて、現在は10秒以上速くなっている。めざましい機械の進歩である。それ以上にすごいことが、その機械に適応していくドライバーたちだ。
この週末のレース、ライコネンとアロンソはマシンを完全にコントロール下においており、他のドライバーとマシンを凌駕していたと思う。
しかし、あまりに速い機械の進歩が、特別なドライバーを生み出してしまったのかもしれない。このレースを見る限り、そんな印象を持たざるを得なかった。.
佐藤琢磨という才能を持ってしても、チャンピオンはおろか表彰台の中央も果てしなく遠い存在なのかもしれない。
その事実(覆してほしいが!)にショックを受けたのである。
それにしてもBARは二流チームだ。まったくレース戦略が見えてこない。トヨタももう少し柔軟な戦略、戦術があっても良かったのではないだろうか。
フジテレビの生中継には、ほんの少し期待していたのだけど、結果は最悪。
コマーシャルが多すぎる。かなり重要な場面がコマーシャル中に起こっていた。これなら録画で見た方がましである。
お金を払わない地上波の視聴者より、スポンサーほうが大事だということが良く分かる。
この国から永遠にF1ワールドチャンピオンが出ることはないのだろうか。少なくともチャンピオンを排出しようとする気概を感じない。
Formula 1の世界をさらに遠く感じた週末であった。
投稿者 corvo : 2005年10月 9日 17:13